【伝統的工芸品のご紹介】~岩槻人形(埼玉県)~
2023.01.20 伝統工芸品について
【名称】
岩槻人形
【岩槻人形の産地】
埼玉県さいたま市岩槻区
【岩槻人形とは?】
埼玉県さいたま市岩槻区(旧・岩槻市)で製作されている人形。
岩槻は、桐たんすをはじめとして、さまざまな桐製品が作られている地域でした。
また、人形の塗装に使用する胡粉(カキ、ホタテなどの貝殻から作られている白色の顔料)と相性の良い良質な水にも恵まれていたということもあり、人形製作に適した環境が揃っていたのです。
雛人形、五月人形、歌舞伎人形、市松人形といった、さまざまな種類が作られています。
生産量が日本一で「人形のまち」として知られており、歴史や文化を感じ取れるイベントが行われています。
2007年3月、伝統的工芸品に指定されました。
【岩槻人形の特徴】
特徴として挙げられる点は、主に3つあります。
・他の人形と比較して、頭と目がやや大きい
・ふっくらとした丸顔をしている
・大振りで、彩りが華やかな衣装
人形の肌には胡粉が塗られており、とてもなめらかで美しい仕上がりになっています。
また、髪は人の毛に似た柔らかな生糸が使われているので、まるで本物のようです。
髪付け師によって、植え付けや飾りつけなどが一体ずつ丁寧に行われています。
【岩槻人形の歴史】
岩槻人形の製作が行われるようになったのは、江戸時代です。
きっかけとなったのは、1636年に開始した日光東照宮の造替。
当時の将軍・徳川家光は、全国から優秀な工匠を招集します。
岩槻は、江戸から日光に至るまでの最初の宿場町であったことから、そのまま住み着く工匠も多かったのです。
中には人形製作を得意とする者がいて、その技術を次第に広めていったことが、人形のまちとしての基盤になりました。
現在も使われ続けている「桐塑頭」という技法が江戸時代に誕生したのも、こうした環境のおかげかもしれません。
江戸時代に、雛祭りに飾る人形や調度品を販売する市である「雛市」が始まります。
その頃には、岩槻は関東一の雛人形の生産地となっていました。
岩槻藩の政策や技術の進歩により、代表的な産業へと発展します。
江戸という大きな市場が近くに存在したことも、岩槻人形が栄えたひとつの要因かもしれません。
【岩槻人形の製作工程】
①頭作り
「人形の良し悪しは顔で決まる」と言われるほど、頭作りは重要であり、巧みな技術を要する工程です。
頭の製作には、桐塑という粘土を用います。
桐塑は、桐の粉末に正麩のり(小麦粉から抽出したデンプンを煮溶かして作る)を混ぜ合わせたものです。
まず、桐塑を型に入れ、乾燥させたものを土台にします。
衣装をつけた人形を製作する場合、最初にガラスなど専用パーツをはめ込んで「目入れ」を行います。
(人形の種類によっては、筆で目を描き入れることもあります)
目入れの次は、顔です。
乾燥した生地に、にかわと水で溶いた胡粉を塗ります。
複数回塗ることで、なめらかな肌に仕上げていきます。
合間に口切りを行い、鼻や唇など顔の凹凸を「置き上げ」によって表現します。
肌にツヤを出すために磨いたら、次に行うのが表情作りです。
表情作りには、とても細くて鋭い穂先を持った「面相筆」を使います。
眉毛やまつ毛を繊細に描き、頬には紅をさし、口紅も入れます。
口元に歯や舌を入れることで、生き生きとした表情を作り上げていきます。
最後に髪の毛を植え付け、結い上げたら頭の完成です。
②手足作り
手足の土台になるのも、型抜きした桐塑です。
胡粉とにかわを何度か塗り重ねて乾燥させたら、小刀を用いて細かい箇所の形を整えます。
ツヤを出すために磨いたら、手足の完成です。
人形の種類によっては、足の爪に色をつける場合もあります。
③胴作り
縛り固めたワラの束に和紙を貼り、土台を作ります。
作業を行いやすくするために固定したら、襟元の形を整える「襟巻」を行います。
次に行うのが、手足を付ける作業です。
手足は曲げていることが多いので、曲げた針金の上から、ワラで肉付けします。
最後に行うのが、衣装付けです。
衣装はすべて人が着るものと同様に作られており、生地は西陣織などの豪華な織物を使うこともあります。
着付け後に衣装がくずれないように和紙を裏貼りした後、裁断したら部分ごとに作り上げておきます。
すべて着付けた後、人形のポーズを作るために腕折りをしたら、胴の完成です。
④小道具作り
段飾りの雛人形だと、全部で20以上の小道具が必要になります。
小道具師によって作られますが、例えば檜扇の絵付けも、ひとつずつ丁寧に手描きされています。
⑤組み立て
ここまで製作してきた頭、胴体、小道具を組み立てます。
もし衣装や神に乱れがあれば整えて、岩槻人形の完成です。