【伝統的工芸品のご紹介】~二風谷イタ(北海道)~
2022.11.22 伝統工芸品について
【名称】
二風谷(にぶたに)イタ
【二風谷イタの産地】
主に北海道・沙流郡平取町(さるぐんびらどりちょう)
※平取町の名前の由来は、アイヌ語の「ピラウトゥル(崖と崖の間…という意味)」から来ています。
【二風谷イタとは?】
北海道沙流郡平取町で作れている「木彫りのお盆」。
2013年3月、北海道で初めて伝統的工芸品に指定されました。
【二風谷イタの特徴】
アイヌの伝統模様が施されているのが、大きな特徴です。
渦巻模様の「モレウノカ」、棘模様の「アイウ」、目のような模様である「シㇰノカ」などを
芸術的に組み合わせることで、アイヌ様式の独特な美しい模様が出来上がります。
実は、二風谷イタかどうかを見極めるコツがあります。
それは、「ラㇺラㇺノカ」と呼ぶウロコ彫りが入っているかどうか確認すること。
二風谷イタには、各文様の隙間を埋める様に、必ずラㇺラㇺノカが彫り込まれているからです。
アイヌの人々は、日々の生活で使う「日用品」として二風谷イタを作っていました。
しかし、現在では、緻密な技術を持った作家によって作られる「工芸品」として私たちを楽しませてくれています。
【二風谷イタの歴史】
二風谷イタは「木彫りのお盆」であると最初に紹介しました。
しかし、昔からアイヌ民族に伝わる民話(ウウェペケレ)では、
お盆ではなく「お皿」として使われ、直に料理を盛っていたことが歌われているのです。
アイヌの生活に刃物は必須で、特に男性にとって「刃物をいかに上手に使えるか」は、
女性へアピールする際の大きな武器でした。それを物語るエピソードがあります。
男性は結婚適齢期になると木彫りの作品を丹精込めて作り、憧れの女性にプレゼントしたそうです。
こうした歴史的背景もあり、二風谷イタをはじめとしたアイヌの木彫りは
「プレゼント」「商売」「物々交換」などにおいて、昔から高く評価されてきました。
江戸時代後期(1854~1859年)に松前藩(現在の北海道松前郡松前町)が、
徳川幕府への献上品としてイタを進呈していたことがあると歴史書に記載があります。
また、1873年に開催されたウィーン万国博覧会にも出展。
明治時代には、名工として名高い「貝澤ウトレントク」「貝澤ウエサナシ」などが
イタなど小物の製作・販売を始めました。
こうした伝統技術が、現代でも脈々と受け継がれています。
【二風谷イタの製作工程】
*材料
・北海道産の板(カツラ、クルミなど)を3年間乾燥させたもの
材料を荒彫りし、お盆の深さをある程度調節しておく。
なお、丸いイタは「旋盤」という回転させながら彫り込める機械を使います。
しかし、四角いイタは旋盤が使えないので、丸いイタと比較して製作に時間を要する。
①底取り
荒彫りしてある材料の内側を専用の包丁で丁寧に彫り込み、面の深さを一定かつ滑らかにする作業のこと。
※専用の包丁=皮裁ち包丁(かわだちほうちょう)
包丁面が平らで、先端に刃がついているヘラに似た包丁
②裏面仕上げ
表だけではなく、裏面も角をキレイに落として面取りする。
この工程を行うことで、木製品である二風谷イタの手触りが良くなる。
③文様(もんよう)彫り
二風谷イタの特徴で紹介した「モレウノカ」「アイウㇱノカ」「シㇰノカ」の3つを組み合わせて、
表面に文様をデザインする。
各文様の大きさやバランス、並べ方によって様々なデザインが可能。
デザインが完成したら、
「三角刀で文様の輪郭を線取り→丸ノミを使って掘り下げ、立体感を出す」の手順で作業を進める。
アイヌの時代は「マキリ」と呼ばれる短刀一本で全ての作業を行っていたので、
当時のイタは力強い線が彫り込まれている。
現在は彫刻刀を使用するので、とても繊細なのが対照的。
④二重線彫り
「アイウㇱノカ」をデザインに使用した場合、中を少し削るように彫り込む作業。
「アイウㇱノカ」は二風谷イタの中心的な文様なので、二重線彫りを行うことが多い。
この作業を行うことでイタに立体感が出て、見た目を豊かに表現することができる。
⑤ラㇺラㇺノカ(ウロコ彫り)の線入れ
「ラㇺラㇺノカ」と呼ぶウロコ彫りを行うための工程。
印鑑を作るときに用いる彫刻刀(=印刀)を使って、木目を縦方向にしながら線を引いていく。
⑥ラㇺラㇺノカ(ウロコ彫り)の起こし
⑤で作ったマス目を、一つずつウロコ状に起こしていく。
彫り方が決まっていて、左右から中心に向かい合わせになるようにしなくてはいけません。
二風谷イタはラㇺラㇺノカを多用することもあり、独特な雰囲気を演出している。
⑦仕上げ
ここまでの作業を終えて気になった点など、細かい箇所まで丁寧に調節したら完成。